すべてが手に入らないなら何もない方がいい

というのは正しくないだろう。しかし少しずつ手に入れることが叶わない問題について、ただ中間領域を求めることに積極的な意味を見いだすのは難しい。理性では分かっている。でも今、僕の矢印は違う方向を指している。
たとえば、育児休業を取得したら復帰しない。それを理性は不可と言うのだけれど……そんなこと、ここに愚痴ってどうするのさ。
すべてのことに説明がつく、という考え方をしている。合理的であろうがなかろうが、説明がつかないことはないだろう。僕のネガティブな考え方もポジティブな希望も、時代背景だとか生育歴だとかで説明はつく。その先、時代背景や生育歴に説明をつけることもできるだろう。戦後体制だとか何だとかで。
それをどうしたいのか、僕はどうしたいのかと考える。あるいは、どうしたくもないかもしれない。そこにだって説明はつく。それを繰り返すと、何か大事なものに行き着くだろうか? 相対化されて大事なものは何もない、という結論に行き着くだけだろうか? いずれにしても、