(財)骨髄移植推進財団から重要で進展で「大切なお知らせです。至急開封してください。」な手紙が届いた。もちろん骨髄移植を受ける方ではない。ドナー登録したのが献血によく通っていた大学生の頃だと思うので多分、登録して十年とかで初ヒットです。なにぶん特定されるようなことは書いちゃ駄目らしいので、今後は思い出したタイミングで適当に書くかもしれないし書かないかもしれないけれど、とりあえず最初なのでちょっと思った事をつらつらと。30万人の登録者の中から年間1,000例の中のひとり候補です。十年間として1/30の確率か。
思うのは、なんでこのタイミングなんだろうな、ってこと。十年前なら今より健康だったし、暇だったような気がする。仕事の都合を言うと、この年度末・年度当初は挟んでほしくなかった。もう三ヶ月くらい待ってくれたらいろいろ落ち着いたのに、とか。あと、去年だったら僕はまるごと一年、家にいたのに、とか思う。でも、ふたりめが産まれるところに重ならなくてよかったとも思う。さすがに妻の出産と重なったら僕は入院する余裕はなかったかもしれないし、とはいえ意思確認をされて、今忙しいからまたあとで、なんて言えるものじゃないかもしれない。裁判員制度と違って、先に手を挙げたのは僕だし。十年前だけど。
でも本当は、去年の十二月くらいに連絡が来るシミュレーションをしていた。その頃、職場の同い年のひとが悪性リンパ腫で入院していて、ひょっとしたらそのひとが骨髄移植でもするんじゃないかって、勝手に思っていた。だからそのタイミングで僕にドナー提供の話が来るんじゃないかって、ストーリーとしてはそれがいちばんアリなんじゃないか、って。結局、全然そんな風に治療が進む間もなく彼は亡くなって、僕にはこのタイミングで声がかかる。三ヶ月前に声がかかって(いや、かかんなくてもいいんだけど)、彼が元気になることを祈っていたのに、その祈りは届かなかったとはいえ、ねえ、断れる訳がないじゃないか。
で、アンケートを書いていて思ったこと。僕は期待されているようには健康ではないんだな、って。もちろん、期待されている健康なひとが一般的なひとなのかどうかは知らない。でも、気管支喘息アトピー性皮膚炎も特に報告が必要な病気らしく、うん、どちらも僕の長い付き合いの既往症ですよ。幸い、どっちも通院治療も服薬もしていないのでいいと思うんだけど、僕の不健康を理由に話が終わったら申し訳なくて仕方がない。一月から副鼻腔炎で通っていた耳鼻科には事情を説明して薬を止めてもらったけれど、そんな健康さでいいのかどうか。書かなきゃ分かんないかな、とか思いつつ(献血のときは窓口で「風邪薬飲んでます」って言ったら「自己申告制になってますが、薬は飲んでませんよね?」って聞きかえされたことがある)、こういう場合は正直に書くのがきっと礼儀正しい行為なんだろうな。就職活動中の履歴書にも既往症で喘息って書いた身だし。
昨日の夜、献血歴三十回の妻となぜ献血に通ったのかについて語り合った。妻の答えは「図書券がもらえたから」。うん、古き良き時代だったよね。このごろの歯ブラシとか歯磨き粉とかって何なんだろうね。昨日の夜、僕はうまく理由を思いつかなかった。なのになんで僕は骨髄バンク登録までしてるんだろう。正直、今でもよく分かんないんだけど、あれから考えたことをここに書いておく。本当か嘘かは僕にも分からない。
僕が献血に足しげく通っていたあの頃は、僕は僕のことを上手に大事にできない時期だった。僕は誰かに大事にして欲しかったんじゃないだろうか、僕自身は僕を大事にしないままで。そう考えると、献血の針が刺さるのが痛いのに通っていた理由にも説明がつく。僕は僕を痛い目にあわせたかったんだ、きっと。それで誰かに大事にしてもらえるなら願ったりだったんだ。血液だって骨髄液だって僕みたいなものだ、多分。
年を取るってきっと昔の自分がしでかした、今の自分ならしないことの責任を取ったり放り出して見なかった事にしたりすることなんだろう。今更違う僕になれるでもなし、なりたいでもなし、それは悪い事じゃないと思う。それで今の僕が健康に留意するようになるなら、きっとみんなにとって悪くないことだろう。うん、もう少し健康になろうと思います。