ええいああ

BESTYO

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一青窈は好きだし、「ハナミズキ」も好きな歌なんだけど、それを結婚式に使うことについて思うところを整理するために書く。これは本当に結婚式向きの歌なのかどうか。

  • 薄紅色の可愛い君のね果てない夢がちゃんと終わりますように君と好きな人が百年続きますように
  • 僕の我慢がいつか実を結び果てない波がちゃんと止まりますように君と好きな人が百年続きますように

普通に解釈したら、「果てない夢が終わる」ことと「君と好きな人が百年続く」こと、「果てない波が止まる」ことと「君と好きな人が百年続く」ことを併置して願っている、と読むだろう。終了と永続(百年続くって、ずっと続くってことだと思う)という相反するふたつを並べるのは詩の技法としてはよくある方法だけど、さて、そうすると「果てない」ものと「君と好きな人」の並列はどうなんだろう。これも対立概念でいいのか?
「果てない夢」の方は何を意味するのか不明だけれど(9.11を受けた反戦思想*1かもしれないけど歌詞からは読み解けない)、普通に解釈したら「果てない波が止まる」方は無理なんじゃないだろうかと思う。磯の真砂は尽きるとも、って言ったら磯の真砂が尽きないことを前提とした表現だし、波なんて永遠とイコールみたいなものだ。
だとしたら、普通に解釈したら、「君と好きな人が百年続く」ことも「ありえないこと」として歌われているんじゃないのか、この詩は。
ちょっとアマゾンのレビューとか見てみたけど、失恋の歌だって解釈(僕はふられたけど、僕の好きな君が君の好きな人と百年続くことを祈る)はあったけど、それも「君と好きな人が百年続く」ことを否定的に見る意見ではなかった。そんなにみんな、僕が我慢すれば果てない波が止まると思ってるのか? たとえあたしが息を止めても空は明日を始めてしまう(椎名林檎)世の中を生きているのに?
ふられた僕が、君への未練を無理矢理我慢しつつ、果てない波が止まらないくらいの確からしさで、「君と好きな人が百年続きますように」と続かないことを祈って(呪って)いるイメージ、けっこう好きなんだけどなあ。なんでそういう素直な解釈を誰もしないんだ?
たぶん、もうひとひねりが必要なんだろう。「君と好きな人」は百年続かないし、「果てない波」は止まらない。「果てない夢」だって終わらないだろう。でも、僕の我慢が実を結んで、そうなったらいいのに、と祈る気持ち。その気持ちには嘘はないよね、そう願っていてもいいよね、ということであれば、これはポジティブな歌かもしれない。絶対的にネガティブなものの前で、でもポジティブな気持ちを持ち続けること。それがネガティブなものをどうすることもできないのは百も千も承知の上で、でもポジティブでいること。それを歌っているのなら、人生ってそういうものだよね、そうやって生きていくのがいいよね、と僕も思う。
みんな、そのレベルでこの歌を理解しているんだろうか?
違う例で、ハネムーンは、満月が欠けるように新婚の甘い時期はすぐに去ること、を指し示している言葉らしい。全然ハッピーな言葉じゃない。でも、結婚生活はただ甘いものではなくて、酸いも甘いも噛み分けていくことが必要なんだということを言っているなら、それはただ甘いだけの新婚さんに相応しい既婚者からのメッセージかもしれない。だって満月は欠けるけれど、また満ちるのだから。多分。
結論としては、「ハナミズキ」を結婚式で使うことに問題はないと思う。でも、祈っているのは、君と好きな人が百年続くこと、そのものではない方がいい、と僕は思う。回りくどい表現をしながら、結局は普通の意見に落ち着いただけですけど。

*1:*なんか9.11を受けて作られた歌らしい。ソース未確認。