あまり本を読まないメル友(現状)が西尾維新をこの頃読んでいるらしく、いやそれは王道の物語をちゃんと読んでるひとが押さえる外道としては悪くないとしても、それだけ読んでたら駄目だろうと思う。思うのだけれども、どうやったらメールでそれが伝えられるだろう。なんていうのかな、普通に「ここまでだよね?」っていうところを平気で(あるいは意図的に)踏み越えるところが西尾維新の読ませどころで、それって多分「ここまでだよね?」が自分の中にないと意味がないと思うんだ。ピカソの絵を評価するには、ピカソの絵が出てくる文脈の理解が必要だよね、みたいな。いや、そんないいものじゃないか。読んでて楽しければいいのか? 楽しいのか? むー、友人はどんなつもりで読んでいるのやら。
っていうか、今の王道ってどのあたりにあるんだろう。なんか僕の方は、いっときの読書熱も覚めちゃったしなあ。