想像力

してみないと分からないことが、してみなくても分かる気がすることを想像力と呼ぶ、と仮定する。「分かる」なのか「分かる気がする」なのか、が問題になる。どちらにしても他人のことは(正確には)分からない、という見方をすれば、「分かる」でも「分かる気がする」でも同じことだ。
していたって分からないことが、していなくても分かる気がすることだってある。それも想像力だろう。他人のことを分かるためには、いつも想像力が必要だ。
自分のことを分かるにも想像力は必要だ、という考え方もある。僕は僕の何を分かっているんだろう。分かる(気がする)ことって、それだけで全部想像力かもしれない。何しろ「これが正答だ」という答えがない。僕が分かっていることを僕が分かっている、というのは証明できない。分かっていることを分かっていない、と証明することも同様。
分かるというのは横方向に行われるものではなく、縦方向に行われるものであるのではないか、と思う。してみないと分からないことが何か大きなものの中にあって、してみなくても分かる気がする僕は、何か大きなものを経由してそれを分かって(いる気がして)いる。そして、その縦方向の移動を行う力のことを想像力と呼ぶのではないか、と。
と、分かったような分からないようなことを書く。僕には想像力があるのかどうか、想像力で何ができるのかを考えている。
読み返して推敲するかもしれないけど、想像力を使って分かってもらえると嬉しいです。